失敗大賞応募作品

幻の円高差益

オルズラボ主催の「第一回失敗大賞」美濃佐兵衛さんの応募作品「幻の円高差益」

オルズラボ主催の「第一回失敗大賞」美濃佐兵衛さんの応募作品「幻の円高差益」のご紹介です。

2017.03.22

20年以上前に木製品を生産するメーカーの木材仕入れを担当しておりました。まだ私も若い頃で何でも分かったような顔をして仕事をしていましたが、実は何も分かっていなかったというような時期だったと思います。

それ程大きい会社でもなく前任者が大手に転職したりして、部門内の貿易取引等に関するノウハウが何処に行ってしまったのか、という社内状況でもありました。
当時私は東南アジア、オセアニア諸国で産出する南洋材の原木を現地で買い付け、船積みをして日本の港に降ろす。という業務を担当しておりました。一回の船積みで取り扱う原木の総額は船積量と単価によって上下しますが七十万~百万ドル程度はありましたから、それ程大きくない会社にとっては大きな買い物であったと言えます。

それまで私の会社では貿易取引の決済の方法は、銀行が売り方と買い方の間に入るL/C決済が主流でしたが、この頃から銀行をすっ飛ばして買い方から売り方へ直接送金するTT決済が主流となっていました。銀行へ支払う手数料がもったいないという理由からでした。

決済は米ドルで行いますからどちらの取引でも任意の日の円ドルレートで決済する必要があります。L/Cの場合は銀行に申し込みをする時点で決済のタイミングを決めていますが、経験の少ないTTの場合は決済のタイミングについて社内で合意が形成されているとは言い難い状況でした。

そんな1995年3月に商社から原木の売り込みがあり、直ぐに現地へ飛び、立ち合い検品をして総額100万ドル弱の荷物をまとめて、あとは船積みを待つばかりという状態で日本に帰ってきました。

原木代金の送金自体は取引の間に入る総合商社が代行する訳ですが、問題はタイミングです。当時の記憶を補完するために1995年当時の為替レートのチャートを検索してみましたが、年初に1ドル=100円だったものが、ほぼ一本調子に円高が進んで3月末には、1ドル=86円にまで円高が進んでいたという状況です。しかし商社の担当者は簡単そうにこう言うのでした。

「2、3日したら船が現地を出ますから日本の港に入港するまでの間にいいと思うところで為替を決めて連絡して下さい。どこまで円が高くなるか分かりませんが、最高のタイミングでバシッとお願いします」
船は南半球から出港しますが10日から遅くても2週間で日本に着いてしまいます。私は非常に軽い気持ちでその役を引き受けたと思います。当時の為替レートのチャートを見ると4月12日に1ドル=84円となってから4月19日の瞬間最高値1ドル=79.75円まで一直線に円高が進んでいます。

それからは毎日本業そっちのけで為替相場とにらめっこをしていました。その間円高はどんどん進んで83円、82円と最高値を更新していったのです。
「やったー100万とったー」
「うおー300万じゃー」
毎日こんな感じだったでしょうか。

瞬間最高値を付けた日の昼休み中に商社の担当者から電話があったのを鮮明に憶えています。今思えば、これぞプロのアドバイスでした。

「80円切りましたよ、そろそろどうでしょうかね」
当時の週刊誌の見出しにこんな酷いものがありました。(1ドル=1円時代の到来)
こんな記事が平然と週刊誌に載る時代ですから私の答えは決まっていました。
「まだまだー、ギリギリまで待てー」
しかし1ドル=1円まで駆け抜けると思えた相場が翌日から一気に円安に方向転換したのです。そのあと私にチャンスは無く結局時間切れで1ドル=85円前後で決済。最高値の時からみると1ドルあたり5円の損。総額100万ドルとして見かけ上、約500万円の大損となったのでした。

それにしても小さな会社の小さな輸入取引でこれ程痺れた訳ですから、当時の大きな会社の輸出担当者などは円高が1円進んで何億、何十億の利益が吹き飛んで行く状況の中、一気に10円も20円も円高に振れたあの時期は正に生きた心地はしなかったのではないでしょうか。

もちろん私の会社では(為替は人知を超えるもの)という当たり前の教訓を得て、その後は思惑での決済は一切止めて契約時に必ず決済のタイミングを取り決める事にしたのでした。

オルラボの更新通知を
受け取ろう!

最新記事をキャッチ!

オルズラボ新着記事