失敗大賞・優秀賞
第一回失敗大賞優秀賞作品「心臓に毛を生やそう!」東京都・篠田さんの応募作品を紹介します。
2017.03.23
アメリカからやってきたベンチャー企業の社長の講演を通訳した。
1990年代の初めのことで、ベンチャー企業やベンチャー・キャピタルという言葉も日本ではまだあまり聞かれておらず、おまけに私は経済や企業経営に関する話はどちらかと言えば苦手ときている。が、引き受けてしまった限りは全力でこの分野を勉強し準備して、実際の業務に当たるしかない。
「ベンチャー」と言えば、新技術などを使った冒険心に富む新しい形の起業だと聞く。スピーカーはきっと目から鼻に抜けるように鋭く、いかにも頭の回転が速そうに超早口でまくしたてる若手起業家だろうと想像していたのが、打ち合わせでお目にかかると包容力のありそうな初老のジェントルマンで、ほっと安堵した。そして実際に講演が始まると、話し方も内容も丁寧で分かりやすく、門外漢の私でも十分に理解し共鳴できる点が多々あった。
なかでも未だに忘れられないのが、”Failing (失敗)”と”Losing(敗北)“は区別して考えよという氏の言葉だ。失敗は恐れるに値せず。失敗はいい。そこから学んでいけばいいのだから。事実、何度も失敗がなくてはベンチャー企業など育たない。失敗したらやり方を変えてまたチャレンジすればいいのだ。アメリカの優良企業の中には、新人を雇ったら半年ほどは部署も決めず好きなように遊ばせ、自分で自分のアクティビティを見つけ出させて考えさせ、実験させ、失敗させて、徐々に失敗しない方法を編み出していくことを主眼としている企業もある、という。
そして、「ここで大切なのは」と彼は言った。「大切なのは、失敗を敗北にしてしまわないことだ」。失敗したのに想定ややり方を変えず、同じモード、同じ様式で続けることが敗北につながっていくのだ。当然同じ失敗を繰り返すだけで前進はない。
彼のこの言葉が私の胸に強く響いたのは、同時通訳者としてデビューしたのが四十歳を過ぎてからと遅かった私が、三~四年で第一線で活躍するようになったのは、失敗を恐れず仕事を引き受け、準備をし、それでも上手く行かなかったところは(当然必ずある)、そこを是正するための「復習」あるいはアフターケアを徹底的に行ってきたからだ。ミスや失敗で引き下がるような弱い人間はやめて、心臓に毛を生やして踏ん張らなくては、通訳者は育たないのだ。
仕事を終えて家に帰ってくると、その日取ったメモを見ながら、内容をすべて紙の上で再現し、次にそれを最上の表現を使って翻訳する。現場では辞書を調べている暇などない「一瞬の勝負」だから、必ずしもベストな表現が使えているとは限らない。一番楽にすらすらと使える言葉や言い回しで切り抜けているのが普通だ。これをそのままにしておくと、「実力」は今のレベルで留まり、上がりようがない。通訳者は言葉を生業にしているかぎり、下手でも「通じればいい」とすましているわけにはいかない。少しでもレベルの高い適切かつ魅力的な訳出ができるよう辞書や参考書を駆使して行うアフターケアを、私は仕事を始めてから最初の二~三年、ひたすら実直に続けた。
しかし、魅力的な通訳をしようとするあまり大変なミスを犯しそうになったこともある。かなりお年を召した財界のドンが、アフリカからのVIPを迎えて懇談されていたときだ。
「私はいつも触覚を張り巡らして世界で何が起こっているかちゃんとキャッチしている…」(触覚?アンテナでいいわよね。でもわざわざ『触覚』という言葉を使ってらっしゃるのだから、antennaじゃなくてtentacleを使った方がいいかしら。Antennaというと機械的で静的だけれど、tentacleはもっと軟体動物的で動きがあるし…)。通訳者に必要な同時高速情報処理能力でそう判断し、”I have my tentacles spread out…”と訳した。VIPたちは、盛んに頷いて、感銘を受けた様子。そのとたんに、私の中でとんでもない疑問が湧いてきて、私はゾーッとした。
(今、私何て言った?!Tentaclesと言ったわよね。まさか、testiclesとは言わなかったわよね。ね、ね!)。Testiclesとは「精巣」という意味である。「私は精巣を張り巡らして…」と、この九十近いドンが!私は絶対にtentaclesと言ったつもり。それなら、なぜ私の耳の中にtesticlesという音の残響がこんなにあるのか? なんと卑猥なことを言ってしまったのか。穴があったら入りたい。結局私は自分が何と言ったのか、今もってまだわからない。懇談が終わったとき、万一のことを考えると私は恐ろしくて恥ずかしくて顔を上げることもできなかった。そして、今後は二度とあまりこだわることはせず、素直に訳そうと誓った。
同じ頃、ある国際交流団体の重要イベントで一生忘れられない恐ろしい経験をした。
この団体の新舎が完成し、開所式とその後のパーティの通訳を引き受けたときのことだった。式典が始まるのは11時半,だから11時頃には会場に到着してほしいとのこと。宮様や総理も臨席されるイベントなので、ことは分刻みで進み、遅れることはない。私は十分な余裕を持って家を出て、会場の最寄駅に私の時計では10時半にはもう着いていた。
少し早すぎたなと思いながらプラットホームの時計を見やった瞬間、私の世界は吹っ飛んだ。「11時半?、うそ!」。
私はスローモーションの世界に落ち込んだように、のろのろと繰り返した。
「この時計は壊れているのよ」。そう言いながらも、直観的に駅の時計の方が正しいことを確信していた。今朝は時間が過ぎるのが異様にのろかったのだ。まだ8時なんだわ、と思って時計を合わせたとき一時間見間違えていて、実はすでに9時だったのだ。
「どうしよう!」私は気分が悪くなった。ちょうど式典が始まったころだ。通訳が現れなくて、関係者たちはどんなに怒っているだろう。タクシーが来たので、とにかく飛び乗って会場に向かった。もう間に合いはしないけれど。まだ携帯などない時代だった。
さすがに関係者の顔には不快感や怒りがありありと表れていた。
どやしつけたいところだが、その時間もない。「急遽別の通訳をたてて式典は始めたので、あなたは待機していてください。パーティのことは後で決めます」と言われて、私は守衛室で打ちひしがれていた。
「いらん、もう帰れ!」と言われても仕方なかったが、結局パーティの通訳はして下さいと言われ有難かった。が、気持ちが沈んで、明るく楽しく、場を盛り立てるような通訳はとてもできそうにない。
それに、何もなかったかのように堂々とやってしまうと、「何と厚かましい女!あれだけのことをやらかしておきながら、ちっともこたえていないのか!」と関係者の反感を買うかもしれない。
しかしそのとき、私は決断した。私の大失態を知っているのは数人の関係者だけで、数百人いるゲストの方々はご存知ない。
彼らに楽しんでもらうのが大切なのだから、うなだれて元気のない通訳をしていてはダメ。私は雑念を振り払うと、メイン・スピーチをされている土井衆議院議長の分身になったつもりで、訳し始めた。
「社会党の委員長をしていたとき、よくテレビに出た。そしてよく言われた。どうしていつもあんなにコワイ顔をしているの?もうちょっと穏やかな優しい表情を見せられないの?」と。
政治の話は難しい話題が多いから、どうしても顔もこわばってしまうらしい。でも、文化や芸術の話になると、自然にスマイルも浮かび、ほら、今の私の顔もそんなにコワクないでしょ」と、文化や国際交流こそ人間を人間らしくしてくれるものだという趣旨の話を、ユーモアを込めてなさり、会場は笑いと拍手でいっぱいになった。
その時、私はつくづく思った。失敗は引きずってはいけない。気にすると、ますます気持ちが萎縮して、できることもできなくなっていく。心臓に毛を生やそう!
これを、テニスやフィギュアなど今はやりのスポーツの世界ではメンタルな面で強くなっていくというのだろうな。
パーティが終わってから私は関係者の方々に、もう一度、心からしっかりとお詫びをした。
「どんなにうまくても、通訳はその場にいなければ価値はゼロなのだから」という、もっともな「お叱り」はあったが、もうそれほど怒っておられるようではなく、
「これからも宜しくね」と、言って下さった。