失敗から生まれるイノベ
歯科業界にイノベーションを起こした「訪問歯科」は一人の男の失敗から生まれた!?
2016.10.07
芯のある堂々とした振る舞いや、発話中の巧みな手の表現は、歯医者というより歴戦の企業家。独自の理念に基づいた数々の挑戦は、歯科業界でも異端視されてきた。成長を続ける医療法人社団「立靖会」。
その成功の裏にある勝野理事長の半生は、波乱に満ちたものだった。
「そもそも歯医者じゃない道に進むことも考えていたんですよ。私の学生時代はバブル絶世期で、たいへん景気がよかった。当然不動産などのおいしい話が沢山転がっているわけです。歯医者として細々とやっていったのでは、まるで勝負にならないと感じていました」
そんな思いから、卒業後の四年間は歯科業界から遠ざかっていた。しかし、平成7年、満を持して歯科医師として復帰。その理由を尋ねると、
「金がなくなったから(笑)」
というシンプルな答え。まさに人生1回目の失敗はこの時だったと勝野氏は振り返る。
「さまざまな分野にチャレンジしたのですが、まあ二十歳そこそこの若造がすぐにうまくいくほど世の中は甘くない。気づいたら、苦しい状況に追い込まれていました」
タウンページから歯科医師の求人に応募をし、初めは週一回のアルバイトとして勤務。家庭教師のアルバイトと掛け持ちをし、月10万円ほどの生活を送っていた。しかし、もう歯医者しかないという気で働き、徐々に院内の評価を得ていく。一年後に分院長を任せられたのを皮切りに生活は一変、月70万円を稼いだ。
分院長を退いた4年目には、当時としてはまだ珍しい存在であった訪問診療を任せられる。法人としても何のノウハウも確立されていない中、顧客を自ら開拓。
報酬は完全歩合制で売り上げの30パーセント。初月は3万円だった収入も、翌年には月収250万円までに膨らんだ。選挙に落選し浪人中だった政治家の秘書と、老人ホームを回るなど、独自の工夫が実った。
訪問診療での成功は会社にも多大な利益をもたらし、上場の機運が高まる。しかし、これまでの功労者である勝野氏は突然担当を外されてしまう。
「上場に際し、会社は自分が邪魔になった。そりゃそうです。売り上げの3割を無条件で持っていくんですから」
自分の何が悪かったのか、振る舞いが悪かったのか、いろいろな疑念が脳裏に浮かんだが、無情にも給料は五分の一にまで激減。せっかく掴みかけた成功が手からするりと落ちていくのも苦しかったが、何より会社から切られたことが、どうにも悔しかった。
「あのときは腹が立ってしょうがなかった。なんとかしてやろうと心から思った。それまでは特に開業を意識したことはなかったんですが、もう勝負をかけるしかないという気になりましたね」
そうして平成17年に独立。独力で培った訪問診療の顧客開拓のノウハウを最大限に利用した。日々の診療時間の中に、必ず顧客開拓のための営業の時間を設け、無休で働いた。
「歯科業界は総じて保守的な業界。よいと分かっていても中々動く人がいません。例えば自分の医院の前を毎日100人の人が通るとします。しかし、ある時からそれが80人に減っていた。その20人はどこへ行ったか。寝たきりになっているんです。高齢化が進むということはもう何十年も前からわかっていました。これからはその20が40になる。だから訪問診療をやらない理由はない、むしろ、やらなければ勝ち残ってはいけないんですが、みな動かない。私たちは敵がじっとしている間に、どんどん積極的に動いたんです。」
その戦略は見事的中し、毎年2億円を超える成長を続けた。失敗を見事に成功への契機へと変えた、歯科業界でも類まれな成功事例だ。
後編ではそんな勝野氏に失敗から学ぶ経営論について語ってもらった。